インタビュー
伝統の技術を活かし、進化し続けるテーラーを目指す 〜株式会社銀座テーラー 代表取締役社長 鰐渕美恵子氏〜
2008年8月18日掲載 (月刊「アイ・エム・プレス」)
「銀座テーラー」は、1946年に鰐淵正造氏が銀座・有楽町に作った、60年以上の歴史を誇る老舗テーラー。創業以来、独自のデザインと裁断・縫製技術で手縫いの注文服を作り続け、政財界のVIPからも熱い支持を受けている。2004年に、60周年を記念した新ブランド「SAMURAI(サムライ)」を発表。2006年には、日本初のテーラー職人育成の専門校である「日本テーラー技術学院」を開校した。「イノベーション・テーラー」をモットーに改革を続ける、同社代表取締役社長の鰐渕美恵子氏にお話を伺った。
専業主婦から一転、会社経営に携わる
――御社は、創業60年以上という銀座でも老舗のテーラーですが、現在の紳士服の市場環境をどのようにご覧になっていますか。
鰐渕:
バブル崩壊以降は惨澹たる状況で、売り上げは右肩下がりでした。私どものようなテーラーで扱っている高い商品は売れないのではないかと思ったぐらいです。――紳士服において、いわゆる“ブランドもの”がもてはやされるようになった時期はいつ頃ですか。
鰐渕:
バブルと同じ時期に伸びてきました。そして、バブル崩壊とともに、日本人は既製服の良さを見直したのだと思います。オーダーメイドの紳士服は注文してから仮縫いを経てでき上がるまでに、約1カ月のお時間をいただいております。既製服は体に合えば着て帰れるという便利さに加え、いわゆるスーパーブランドと呼ばれるメーカーのブランディングが素晴らしく、「ブランドものを着なければ一流ではない」という思考が日本人の中にも生まれてきたと考えられます。――スーパーブランドの台頭や既製服の隆盛に危機感を感じられたと思いますが、どのようなチャレンジを行ったのでしょうか。
鰐渕:
私が入社した1992年は、ちょうどバブル崩壊の真っただ中。売り上げが日に日に落ちていくという恐ろしい時期でした。それまで私は主婦でしたので、マネジメントとしてビジネスの中核を担うのではなく、新規開拓の営業担当をすることになりました。まずは私の知り合いの方々を回ることからスタートしましたが、知人と言っても、当時の私の周りには、子どもを通じて知り合った女性しかいませんでした。加えて、その頃は紳士服しか作っていなかったので、売るものがないわけです。そこで考えたのがレディースの販売。レディースをご案内することで、ご主人のスーツへと発展する可能性があると考えたのです。このほか、オーダーメイドではこれまで手を付けていなかった“革”に着目しました。革というのは、布と異なり硬いので、多少長いこと身に付けたからと言って、ボディーラインに馴染むものではありません。そこで革こそオーダーメイドだと思い、革製品も作り始めました。
――品揃えを拡大し、新規顧客を開拓することで、状況を打開しようと考えられたわけですね。
鰐渕:
その通りです。ただ、入社から3年後の1995年頃には、ますます経営状態が深刻になり、リストラを含めて大きな改革を行わなければならなくなりました。私自身も、知人を回っての新規顧客開拓営業に限界を感じ、何かをしなければいけないと思っていたのです。そんな時に、テレビ番組で著名なあるジャーナリストの方が勉強会を開いていると聞き、藁にもすがる思いで、即参加を申し込みました。経営者や政治家、経済の専門家の話などを“耳学問”するとともに、その勉強会の参加者に、新たなセールスの機会を見付けたと言うわけです。
その後、ニュービジネス協議会に入会し、起業をされた方々のお話を直に聞いて、それを参考に社内改革を進めましたが、「レシピはあるのに料理が作れない」という状況で、思う通りに改革が進まず困っていました。そうした中、ある委員会で現在の専務(皆川和久氏)と出会ったのをきっかけに、2003年に“第二の創業期”を迎えることになりました。創業当初からの技術はそのままに、「顧客第一主義」をコンセプトに掲げ、社是や基本方針を整えて社内の理解と協力を求めたのです。

(株)銀座テーラー 代表取締役社長 鰐渕美恵子氏
伝統と技術を活かしながら新商品を次々と開発
――第二の創業期を迎えて、まず何から取り組まれたのですか。
鰐渕:
商品価格の見直しを行いました。それまで私どもはスーツでいうと30万円以上の商品しか手掛けてこなかったのですが、いろいろな方々に着ていただくため、もう少し敷居を低くし、価格も半額程度の二次ブランドを作ることに決めたのです。これは、加工の一部に機械を使っているほか、手掛ける職人も異なるのですが、生地のランクは落とすことなく仕立てています。当初は、ブランドイメージが落ちるなどの反対意見がありましたが、現在では当社の売り上げの3〜4割を占めるまでに成長しております。――紳士服のセミオーダブランド「SAMURAI(サムライ)」のことですね。
鰐渕:
そうです。サムライというネーミングは、滅びゆく日本の伝統・文化を洋服の中に織り込みたいという思いから付けました。裏地の一部に使用した西陣織りの生地、漆塗りのボタン、花押の3つにこだわることで、「サムライブランド」が誕生したのです。新商品ということで言えば、2006年2月に、このビルの5階にオーダーメイドパンツの「Jeans Bar(ジーンズ・バー)」をオープンしました。ジーンズ1本4万円からなので、一段と価格帯が下がりました。これにより、品揃えがバラエティー豊富になると同時に、当店の敷居が低くなり、お客様に気軽にご来店いただけるようになりました。このジーンズ・バーには「Ginza Tailor Studio」という名称が付いていますが、週1回、1,000円でジャズライブをお聴きいただけるようにしたことで、今までとは異なる層の方々にご来店いただけるようになりました。言うなれば、「銀座テーラー」のファン作りにもつながっているのです。
――お客様の年齢層は?
鰐渕:
インターネットで検索してお越しになる方は30〜40代ですが、圧倒的に多いのは50代後半〜60代の方々です。ある程度富を築かれた方は、長い間、しゃにむに働いてこられたので、そもそもジーンズを履いて遊んでいる時間はなかったみたいですね。なぜ、当社がジーンズを手掛けるようになったかというと、固定客を中心としたビジネスでしたので、売り尽くしてしまったという実情があります。「もうスーツは十分あるよ」と言われるお客様に対して、何を売っていくかが課題でした。そんな中、お客様にジーンズをお出ししたところ、大変喜ばれたので「これだ」と実感したのです。
オープン当初は、告知をするような予算がなく、スーツを作りにみえたお客様にご紹介していました。すると3割近くのお客様がご購入くださり、まさに50代、60代の層がジャスト・ターゲットなんだと確信。そこでシニア向けの珍しいデニム生地に特化するとともに、マスコミに対して“テーラー技術を活かしたオーダーメイドのジーンズ”として広報活動を行ったところ、今では広く知られるようになってきたのです。
業界のリーダーとして技術者の養成にも注力
――お客様との関係づくりという点で注力されていることは?
鰐渕:
バブル崩壊以降、気軽に電話を取りついでいただけなくなるなど、お客様との接点が限られてきましたので、「手紙」を書いてお客様にお送りするようにしています。手紙も通り一辺倒の内容ではなく、担当者一人ひとりがお客様の心に少しでもひっかかるような一言を書き添えて送るようにしています。また、手紙だけではお読みいただけないこともありますので、顧客接点のツールとして月刊紙「GINZA TAILOR JOURNAL」(発行部数6,000部)を発行し、手紙と一緒に送っております。新商品のご紹介やファッション情報などを載せていますが、一番うれしかったのは、カシミヤフェアを行った時に、この新聞を携えて「これがほしい」とお越しいただいたお客様がいらっしゃったことです。このほか、お客様の写真を使って、お客様がオーダーメイドスーツを着用したイメージ画像を作成し、季節の変わり目に手紙と一緒にお送りしています。
――お客様への手紙は、どのようなタイミングで送られていますか。
鰐渕:
現在は、来店のお礼と仮縫いのお知らせ、でき上がりのご連絡、着心地の感想伺いの3回になります。――多様な新商品を生み出されたほか、ジーンズ・バーでのジャズライブをはじめ、月刊紙、手紙などさまざまな顧客接点を開発されてきたわけですね。このほか学校も手掛けておられると伺いましたが?
鰐渕:
テーラー技術のベースとなる考え方の確立や人材育成を目指し、2006年4月に「日本テーラー技術学院」を開校しました。これにより、お客様の当社に対する信頼度、イメージが向上したと思います。また2006年12月には、メンズ美容サロン「ジェントリー」をビルの6階にオープンさせました。これにより、当社グループにおいて総合的な男性のおしゃれ・美を提供する体制が整ってきたと自負しています。
私は日ごろから「イノベーション・テーラー」を自称しているのですが、さまざまな領域で挑戦し続けることが大事だと考えております。
――新たな挑戦や計画中のことがありましたらお聞かせください。
鰐渕:
現在、「テーラーギルト」という会を月1度開いています。先ほどもお話しましたが、そもそもテーラーは事業の拡大が難しく、また技術者の高齢化が進行するなど、問題山積の業界です。そこで、当社がリーダーとなって希望者に広くテーラー技術を指導することで、今後とも業界を引っ張っていきたいと思っております。【Mieko Wanibuchi】
銀座テーラーグループ代表。1970年、甲南大学文学部英文科卒業。同年、大阪万国博覧会国際連合館VIPコンパニオンとなる。1973年に結婚。1995年に、(株)銀座テーラー総支配人に就任。2000年、同社3代目代表取締役社長に就任。同年、(株)ワーニークリエイティブ・ジャパンを設立し、同社代表取締役社長に就任。2003年、(株)銀帝ビル代表取締役社長に就任。現在に至る。
※本稿は2007年8月の原稿に基づく内容です。

「イノベーション・テーラー」としてさまざまな領域で挑戦し続けることが大事だと考えています
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